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2009年8月7日金曜日

覚せい剤止めますか人間止めますか

二十年ほど前。私がハイティーンだった頃
まだアメリカ村に陰鬱な匂いが残っていた頃
十代にもマリファナをはじめ違法薬物はそれなりに広まっていた。
といっても入手経路として外国人の直ルートは一般には確立されていなく
主にサーファー連中のグループとディスコやらの夜の盛り場からのルートが主だったものだった。
私の生まれの南大阪は十代の頃からサーフィンに慣れ親しむ土壌がある地域でダンジリ・原付・サーフィンなどは南大阪名物のヤンキー三種の神器といったところだったか。

そういった地域派生のマジョリティーと離れたいがために自然と週末などはディスコなどの盛り場にたむろするルーティーンを過ごしていて、そういった流れの中で自然にある種の違法薬物との繋がりは出てくるもので、ティーン特有の好奇心もおおいに手伝って私の中にも侵入してきた。

まず、法律で禁止されていると言う事。
倫理的観点での道義性を考えるとき、使用の是非の捉え方はあやふやになります。
でもやっぱり法律で禁止されている。

覚せい剤は当時‘エス’‘早いの’などと呼ばれていた。パケと呼ばれてビニールの手製の小分け袋。タバコの外袋を割り箸などで器用に挟んで溶かし、袋状にしていた。
ワンパケが大体いくら位だったか?¥15くらいだったか?
使用法はいろいろだが一般的には炙りによる吸引だったと思う。アルミホイルを板状に折り重ねて谷折にした後にエスを乗せて下からライターの火で軽く炙る。白い煙が出たところでストローもしくは同じくアルミホイルで作ったストロー状のもので吸引する。
使用後はストローの内側に粘着したものも擦り取り歯茎に刷り込む。
まずこんなところか水パイプを使った吸引だ。これもみんな色々と自作して楽しんでいたようだ。
あとは精製水に溶かして注射器で液体を取り込み血管へと。これはやはりダイレクトに血液に流し込むためかなり危険と思われる。注射針の問題もある。廻しも意外と平気でしていた人たちもいたような気がする。

‘エル’と呼ばれたLSDなどはあまり出回っていなかった。‘イー’と呼ばれたエクスタシーは
今巷で賑わってるニュースにも出てきたMDMAと最近では呼ぶらしい。

マリファナはガンジャやクサなんかで呼ばれてたかな?あとマリファナの成分を樹脂で固めたものは‘チョコ’や‘ハシシ’‘チャラス’と呼ばれサーファーたちは他府県へ波乗りに行っては現地で調達して地元へ持ち帰ってた。

それぞれ使用後の五感の変化は違うのだが...

使用感とは違う肌感覚としてやはりマリファナをなどの大麻と覚せい剤の系統のものではいろいろな意味で違いがありそうだ。

それでも法律では禁止されていると言う事だ。それ以上でも以下でもないわけで。

追記*
プッシャーと呼ばれる売人に素人さんが手を染めていた部分もあった。
エスなどはカルキを軽く砕いたものを幾分混ぜて売りつけている素人の輩も...いたわけで今考えると恐ろしくて普通ではないと。カルキや不純物の混じったエスは炙ると焦げ粕のような茶色いものが付着する。
新鮮で純度の高いものは軽く沸騰してスーーっと煙になり炙り粕が残らない。

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