盤座となって無事帰還。
祭りは年越しまでお預けじゃ。
2009年11月11日水曜日
処世術
処世術。
世間様と交わり、うまく関わり合っていく術の事のようだ。
これは経験則から逆算した方法論のことだが肝心な始まりの部分が欠落して
答えだけを導き出すような、そんな事を上から目線で言われても若い奴にはテンデお話にならないだろう。
年寄りにはどんどん厳しく、教育的指導をしていくのは若い奴の務めだ。
初動の時点での欠落は年老いて床に着くときに漸くうっすらとしてモヤッとした気づきをもたらすだろう。
2009年10月12日月曜日
2009年10月6日火曜日
酒の肴
さーさーもう早い事に10月です。
えーえー今年も馬鹿ほど加速度を増してる感が纏わりつきますな~
酒の肴よろしく、サービス満点といったところでーひとつ
なんとかの便りの続編が別ルートでも散らかり魔栗ではあるんですが...
‘ようやく整理がついた ’シリーズのその後の経過を更新しないままやって来ました~
‘帰ってきたミナパラ’11月29日創刊号発行!発行部数2部+ともだチ×コ
さて紙面と枠組みはどうなるんでしょう?
夜行寝台カエミナ
シュポシュポシュッポ・シュッポッポーッーーーー夜明け前は一番暗い。

2009年10月4日日曜日
2009年10月3日土曜日
10月はMy神無月==
10月はmy神無月。
私の中での事なんじゃ~。石が居なくなってもうすぐ2週間。
新たな芽吹きに想いを馳せよう。過ぎた風はそよ風の様に。
なんでも良いが深見東州はセーフなんかいな~ありゃ~まことに不思議じゃ~バケモンじゃ~
主観を通して他者を決め付けてかかる。
私にもある。
自身の主観が多角的という何処から来るか分からない自信があるからだ。
主観を妄信するのはともかく主観のフィルターを通して他者をジャッジするのは、もーなんだかなー
世代間ギャップなどから起こる価値観の軋轢。
他人との関わりはとかく面倒なものだ。
と、感じるのも自信の価値観を他人に押し通したいがために面倒に感じるもんなんだろう。
他人を蔑み自身の価値観でジャッジする卑しい言動だけは妄信の是非とは別のところで自戒する心持ちたいもんだ。
慶弔事で風に乗って流れてくる他者のコトバの匂いでそんな事を感じました。
まだまだと感じる心もまだまだ...なんか野球選手の昔のCMみたいな語呂だな
無味無臭なコトバに味と臭いが増幅する。祝いの言葉はその人の為に使うように心がけたい。
2009年9月24日木曜日
2009年9月22日火曜日
21日は世界平和デー...ってさ
2009年9月12日土曜日
いや、皆さんお元気で
林真理子さんってかなり痩せたんですね。
グルグル廻ってその辺りにいらっしゃるのですね。
西原さんもその類で一見しては唯物的ですね。
勝間さんは...いや~~
http://mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/news/20090825ddm010010145000c.html
投稿者
神木慧仁
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2009年9月7日月曜日
just feeling,awakening,make sense of reality.
単身とひとり親世帯の増 非正規雇用が生む貧困 関連PDF
家族の枠組み。
魂の受け皿を無くした状態での解体作業ありきの四諦八正道は混沌と憎悪を生み出す。
二隻の舟の歌詞
時は 全てを連れてゆくものらしい
なのに どうして 寂しさを置き忘れてゆくの
いくつになれば 人懐かしさを
うまく捨てられるようになるの
難しいこと望んじゃいない
有り得ないこと望んじゃいない
時よ 最後に残してくれるなら
寂しさの分だけ 愚かさをください
おまえとわたしは たとえば二隻の舟
暗い海を渡ってゆく ひとつひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても
同じ歌を歌いながらゆく 二隻の舟
時流を泳ぐ海鳥たちは
むごい摂理をささやくばかり
いつかちぎれる絆 見たさに
高く高く高く
敢えなくわたしが 波に砕ける日には
どこかでおまえの舟が かすかにきしむだろう
それだけのことで わたしは海をゆけるよ
たとえ舫い網は切れて 嵐に飲まれても
きこえてくるよ どんな時も
おまえの悲鳴が 胸にきこえてくるよ
越えてゆけ と叫ぶ声が ゆくてを照らすよ
おまえの悲鳴が 胸にきこえてくるよ
越えてゆけ と叫ぶ声が ゆくてを照らす
難しいこと望んじゃいない
有り得ないこと望んじゃいないのに
風は強く波は高く 闇は深く 星も見えない
風は強く波は高く 暗い海は果てるともなく
風の中で波の中で たかが愛は 木の葉のように
わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二隻の舟
1人で生まれて来たのだからの歌詞
ジャスミン もう帰りましょう もとの1人に すべて諦めて
ジャスミン もう帰りましょう もとの1人に すべて諦めて
人が1人で生まれて来ることは 1人きりで生きてゆくためなのよ
1人きりで生まれて来たのだから 1人でいるのが当たり前なのよ
2人でなければ半人前だと 責める人も世の中にはいるけれど
ジャスミン もう帰りましょう もとの1人に すべて諦めて
ジャスミン もう帰りましょう もとの1人に すべて諦めて
1人で働いて自分を養う一生
THAT'S ALL それで終わり けっこうなことじゃないの
誰とも関わらなければ 誰も傷つけない
THE END それで終わり とても正しいことじゃないの
ジャスミン もう帰りましょう 1人暮らしのあのアパートまで
ジャスミン もう帰りましょう 1人暮らしのあのアパートまで
淋しくなったら両手で耳をふさいでみる
去ってゆくすべてのものに前もって手を切って
どこへも去らない私がいるのを確かめる
私の声が私を呼ぶのを聞く
ジャスミン淋しくないわ もとの1人に戻るだけだもの
ジャスミン淋しくないわ もとの1人に戻るだけだもの
誰とも関わらなければ 誰も傷つけない
THE END それで終わり とても正しいことじゃないの
1人きりで生まれて来たのだから
1人でいるのが当たり前なのよ
ジャスミン淋しくないわ もとの1人に戻るだけだもの
ジャスミン淋しくないわ もとの1人に戻るだけだもの
ジャスミン
投稿者
神木慧仁
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2009年9月6日日曜日
2009年8月28日金曜日
トラベリング
神仏習合・役行者・修験道・古神道
諭鶴羽神社→熊野三山→玉置神社→玉石社→大神神社→檜原神社→大和神社
派生↓
金峯山修験本宗総本山→熊野古道→果無集落→玉置神社→大斎原
諭鶴羽神社:伊弉冊尊 速玉之男命 事解之男命
玉置神社:国常立尊 伊弉諾尊 伊弉冊尊
熊野三山:家津美御子大神→国常立命
玉石社:大巳貴命
大神神社:大物主大神 大己貴神 少彦名神
檜原神社:天照大神若御魂神 伊弉諾尊 伊弉冊尊
大和神社:大倭大国魂大神
投稿者
神木慧仁
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2009年8月26日水曜日
荒魂・和魂
荒魂・和魂(あらたま・にぎたま)
荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。
和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。
和魂はさらに幸魂(さきたま、さちみたま、さきみたま)と奇魂(くしたま、くしみたま)に分けられる。(しかしこの四つは並列の存在であるといわれる。)
幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。
奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きである。幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられる。
現代的に考えるならば、私的な魂・公的な魂と言える。幸魂・奇魂=別魂・髪魂(分霊・形見)との解釈が可能。
また、人間の心は、天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)から成り立つという考え方があり、一霊四魂(いちれいしこん)と呼ばれる。
2009年8月24日月曜日
両輪の魔法
二隻の舟の歌詞
時は 全てを連れてゆくものらしい
なのに どうして 寂しさを置き忘れてゆくの
いくつになれば 人懐かしさを
うまく捨てられるようになるの
難しいこと望んじゃいない
有り得ないこと望んじゃいない
時よ 最後に残してくれるなら
寂しさの分だけ 愚かさをください
おまえとわたしは たとえば二隻の舟
暗い海を渡ってゆく ひとつひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても
同じ歌を歌いながらゆく 二隻の舟
時流を泳ぐ海鳥たちは
むごい摂理をささやくばかり
いつかちぎれる絆 見たさに
高く高く高く
敢えなくわたしが 波に砕ける日には
どこかでおまえの舟が かすかにきしむだろう
それだけのことで わたしは海をゆけるよ
たとえ舫い網は切れて 嵐に飲まれても
きこえてくるよ どんな時も
おまえの悲鳴が 胸にきこえてくるよ
越えてゆけ と叫ぶ声が ゆくてを照らすよ
おまえの悲鳴が 胸にきこえてくるよ
越えてゆけ と叫ぶ声が ゆくてを照らす
難しいこと望んじゃいない
有り得ないこと望んじゃいないのに
風は強く波は高く 闇は深く 星も見えない
風は強く波は高く 暗い海は果てるともなく
風の中で波の中で たかが愛は 木の葉のように
わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二隻の舟
1人で生まれて来たのだからの歌詞
ジャスミン もう帰りましょう もとの1人に すべて諦めて
ジャスミン もう帰りましょう もとの1人に すべて諦めて
人が1人で生まれて来ることは 1人きりで生きてゆくためなのよ
1人きりで生まれて来たのだから 1人でいるのが当たり前なのよ
2人でなければ半人前だと 責める人も世の中にはいるけれど
ジャスミン もう帰りましょう もとの1人に すべて諦めて
ジャスミン もう帰りましょう もとの1人に すべて諦めて
1人で働いて自分を養う一生
THAT'S ALL それで終わり けっこうなことじゃないの
誰とも関わらなければ 誰も傷つけない
THE END それで終わり とても正しいことじゃないの
ジャスミン もう帰りましょう 1人暮らしのあのアパートまで
ジャスミン もう帰りましょう 1人暮らしのあのアパートまで
淋しくなったら両手で耳をふさいでみる
去ってゆくすべてのものに前もって手を切って
どこへも去らない私がいるのを確かめる
私の声が私を呼ぶのを聞く
ジャスミン淋しくないわ もとの1人に戻るだけだもの
ジャスミン淋しくないわ もとの1人に戻るだけだもの
誰とも関わらなければ 誰も傷つけない
THE END それで終わり とても正しいことじゃないの
1人きりで生まれて来たのだから
1人でいるのが当たり前なのよ
ジャスミン淋しくないわ もとの1人に戻るだけだもの
ジャスミン淋しくないわ もとの1人に戻るだけだもの
ジャスミン
2009年8月7日金曜日
覚せい剤止めますか人間止めますか
二十年ほど前。私がハイティーンだった頃
まだアメリカ村に陰鬱な匂いが残っていた頃
十代にもマリファナをはじめ違法薬物はそれなりに広まっていた。
といっても入手経路として外国人の直ルートは一般には確立されていなく
主にサーファー連中のグループとディスコやらの夜の盛り場からのルートが主だったものだった。
私の生まれの南大阪は十代の頃からサーフィンに慣れ親しむ土壌がある地域でダンジリ・原付・サーフィンなどは南大阪名物のヤンキー三種の神器といったところだったか。
そういった地域派生のマジョリティーと離れたいがために自然と週末などはディスコなどの盛り場にたむろするルーティーンを過ごしていて、そういった流れの中で自然にある種の違法薬物との繋がりは出てくるもので、ティーン特有の好奇心もおおいに手伝って私の中にも侵入してきた。
まず、法律で禁止されていると言う事。
倫理的観点での道義性を考えるとき、使用の是非の捉え方はあやふやになります。
でもやっぱり法律で禁止されている。
覚せい剤は当時‘エス’‘早いの’などと呼ばれていた。パケと呼ばれてビニールの手製の小分け袋。タバコの外袋を割り箸などで器用に挟んで溶かし、袋状にしていた。
ワンパケが大体いくら位だったか?¥15くらいだったか?
使用法はいろいろだが一般的には炙りによる吸引だったと思う。アルミホイルを板状に折り重ねて谷折にした後にエスを乗せて下からライターの火で軽く炙る。白い煙が出たところでストローもしくは同じくアルミホイルで作ったストロー状のもので吸引する。
使用後はストローの内側に粘着したものも擦り取り歯茎に刷り込む。
まずこんなところか水パイプを使った吸引だ。これもみんな色々と自作して楽しんでいたようだ。
あとは精製水に溶かして注射器で液体を取り込み血管へと。これはやはりダイレクトに血液に流し込むためかなり危険と思われる。注射針の問題もある。廻しも意外と平気でしていた人たちもいたような気がする。
‘エル’と呼ばれたLSDなどはあまり出回っていなかった。‘イー’と呼ばれたエクスタシーは
今巷で賑わってるニュースにも出てきたMDMAと最近では呼ぶらしい。
マリファナはガンジャやクサなんかで呼ばれてたかな?あとマリファナの成分を樹脂で固めたものは‘チョコ’や‘ハシシ’‘チャラス’と呼ばれサーファーたちは他府県へ波乗りに行っては現地で調達して地元へ持ち帰ってた。
それぞれ使用後の五感の変化は違うのだが...
使用感とは違う肌感覚としてやはりマリファナをなどの大麻と覚せい剤の系統のものではいろいろな意味で違いがありそうだ。
それでも法律では禁止されていると言う事だ。それ以上でも以下でもないわけで。
追記*
プッシャーと呼ばれる売人に素人さんが手を染めていた部分もあった。
エスなどはカルキを軽く砕いたものを幾分混ぜて売りつけている素人の輩も...いたわけで今考えると恐ろしくて普通ではないと。カルキや不純物の混じったエスは炙ると焦げ粕のような茶色いものが付着する。
新鮮で純度の高いものは軽く沸騰してスーーっと煙になり炙り粕が残らない。
投稿者
神木慧仁
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