‘帰ってきたミナパラ新聞’
発行部数2部+ともだチ×コ CUSEスモールパッケージ版への道
~ミニマム回帰の始まりへ向けての出発~
長らく取り組んでた港区から発行しているミナパラ新聞。
毎月2千部発行に始まり程なくして諸事情???で隔月しばしば月刊という形で5千部発行になり配布方法もお店や施設などへの設置配布から読売新聞さんに協力して頂いての個宅配布と変遷していった。
3年半という期間をいろんな角度で試行錯誤しながら活動し、地域の枠組みの中でのフリーペーパー発行とそこから派生した様々な取り組みに一定の到達感を得たとともに、フリーペーパー発行などを通しての地域社会への関わり方に自分の中で少しの違和感を感じている事を発見した。
でー、次号で20号目になるミナパラ新聞ですが一旦休刊することに決定しました。
私的な壁新聞の領域から少しばかりオーバーシュート気味な編集部の人間含めてこの3年間で活性化した港区の地域活動の流れを肌で感じるに、やはり、コミットの方法と目的が,???な事も当然ながらにあり、それらが自分の中で沢山膨れあがったというわけです。
思い起こせば~
お隣九条にある‘まんまやうち田’というユニークな夫婦が営む路地裏の卵かけご飯が名物なお店に集まった九条民がフリーペーパーを発行した事に端を発した。
その‘九条新聞’への寄稿の話もあったのですが、それならば港区でもと思い立ち、早速友人でダーツバーを朝潮橋で営むニナちゃんに声を掛けてみた。
彼女は港区生まれの港区育ちで性格も社交的でチャキチャキ系。うーーんもってこいとなったわけでありますが...港区は地下鉄の駅で3ブロックに別れる。私は弁天町、ニナちゃんは朝潮橋で大阪港は?‘ニナちゃん誰か知ってる人おる?’って事で‘いるいる!ハaハaハaってカフェしてるミホちゃん!’
って事でひょんなきっかけから動き出した港区での極私的なフリペ発行という流れ。
始まりはこのたった3人から。
2へ続く ・・・
2009年3月7日土曜日
ようやく整理がついた。
投稿者 神木慧仁 ラベル: 帰ってきたミナパラ
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿