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2007年10月23日火曜日

ニッポンの賢者-伊富喜秀明-丸ごと伝説殿堂入り

宗教を超えて人が辿り着く境地の一つとして即身成仏というものが存在します。

この国ではそういった修行が最近まで行われていて、その王道ともいえる形は、奈良県と和歌山県に跨り、そびえる大峯山系を吉野の金峯寺から熊野は那智に抜ける大峯奥駆けと呼ばれる道を辿り和歌山の那智の滝の上から身を投げて、即身成仏を図るというものです。

明治に、実利上人という方が千日篭りの修行を満願成就した後、那智の滝に捨身入定して以来、捨身修行の禁止令が出されて、公ではないにしても、本質を同じくするような修行は行われていました。


伊富喜秀明
1995年の夏、奥深い熊野の山中に篭もり、60日間、水のみを口にする断食の行を彼は始めました。深仙のお堂で断食55日目、後もう少しで満願成就というところで衰弱が激しく入定されました。

入篭したお堂には敬愛する実利行尊者の文字が掲げられ見届けられるかのような入定になりました。
神社の宮司のまま園城寺で得度を受け、山伏となった伊富喜秀明行者は最後の時を友人と妻からの一含みの水に満たされて逝かれました。

苦行とは何なんだろう?よく言う云い回しで苦行では悟りの境地には達しないと・・・
悟りという抽象表現の根本論まで行き着きそうですが、伊富喜秀明行者や熊野の山へ魂を捧げた古の修験者達が観じた常世の世界は私達とは違うものだったのかも知れません。
大峯奥駆道の行者堂には20世紀の熊野の3行者たる前田勇一・伊富喜秀明・佐藤寛道行者の写真が掲げられ、21世紀の修験者を見守っているそうです。

資本主義の名もと、消費の美徳が今も息づくニッポンですが、この様な精神の世界観を具現化させた生き方をする人が存在する事はなんだか素晴らしくも感じます。

上の写真はパキスタンはラホールの美術館の断食する仏陀像です。
何を隠そう私は実物を拝んだ事があるのですが、彫刻とは思えないくらいの印象で少し鳥肌がたつ位のモノでした。
画樂侘紀行NewUpdate

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