ここまで書いておいて...なのですが
元はといいますと‘楽しい’の思いつきでした。
そうです。衝動的な楽しいの行動で作為的ではないものが出発点にはありました。
発行当初、読者の方から編集部に参加したいので詳しい話を聞きたいと言う内容のメールがあり、その方と少しお話する機会がありました。
新聞発行の着地点を含めた細かなコンセプトワークを私自身嫌っていてフリーハンドで自由な容を望んでいたんですがその方から出た言葉は、非営利でも、継続可能な発行体制を考えるうえで細かな着地点と目的意識の位置づけと広告などの発行経費の捻出方法などをはっきりしないとその方の経験上なかなか5年10年と個人の集まりとしての集団を継続する事は困難なものというお話でした。
その時点でもその方の仰ることは十分に理解できたのですが個人的な幻想を先行させる選択を取り結果的にその方とは新聞発行での協力を頂く事はありませんでした。
そもそもからかなり脱線してしまったんですが...
本当を開けると私的な楽しいを公理のカモフラージュにかこつけてたのは私自身だったような気もしてきたわけで...
2009年4月1日水曜日
ようやく整理がついた5
投稿者 神木慧仁 ラベル: 帰ってきたミナパラ
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿