元はと言いますと...
公理性を意識していたが故に認知度の向上を望み、身の丈から考えると少しオーバーフロー気味な隔月5千部という発行部数や配布に関しても読売新聞さんに無償で協力して頂いてまでの個宅配布など少々無理のかかった方法を取っていたのはそういった公理性を意識した出発点があったからであって、それは公理なコミュニケーションへ抱く私自身の過剰な幻想志向によるものだったのかもしれません。
新聞の発行をしていく中で地域のネットワークへ少なからずの関わりを持つようになり、より深く他者と関わりを持つ中で、どこかでは理解していたリアルな他の部分をカラダで感じる小さな出来事が沢山あふれ、その流れの中で私自身の公理性の幻想が揺らいだ事によって新聞発行のブースターがプスプスと音を立てていました。
悲観へと逆ブレする訳ではないのですが何かしらの喪失感に近いものを感じ、知っていた事を改めて理解した気がしたのでした。
ここまで書いて何なんですが...元はと言いますと‘楽しい’の思い付きでした。
5へ続く
2009年3月18日水曜日
ようやく整理がついた4
投稿者 神木慧仁 ラベル: 帰ってきたミナパラ
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