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2008年5月13日火曜日

旅行-情報-知識-晴れ時々曇り

古きを懐かしんで古里に佇むw
そんな故事はなさそうですが、まずは旅行について

3ヶ月、半年、1年という単位で海外の町々を旅すると日本では出会う機会が少ないような類の色んな人に出会う。
ある人は結婚相手を探す世界巡りの旅だったり
ある人は恋人とともに世界中の波を求めてサーフトリップしていたり
またある人は旅すがら沈没して、故郷に戻ることなく異国で安住の地を得たものも居れば彷徨のまま、ただ場所として異国の地に存在するものも居る。
旅の切り口はみんな様々だ。

一般的な話として長期旅行者に多いタイプを分類分けしよう。

○世界各国の入国ビザとスタンプ収集の旅
このタイプはかなりの数だと思う。個人的には少し疑問にも感じる。年齢によりけりか。
極端な話トランジットで数時間滞在して予めリサーチしたその国のその町の特色、名物などを超特急でインプットしてゆく。記念旅行の旅のような格好だ。

最近目にしたニュースでどっかの旅行社だったか調査機関だったかのリサーチで若者の海外旅行離れが加速しているというのがあった。ほんまかいな?
「お金ないから」やら「休み取れない」はたまたネット生活の浸透で~~ぶら~ぶら~という理屈まで出ていた。

旅行の醍醐味。
バックパックを担いでその日の宿をその日にゲットする様な形、もしくはテントなど等のスタイルで旅行する。そんな人間が長期旅行者には多いように感じる。そら当然だわなw長過ぎるわいな。
自分の国とは違う異国の料理だったり風景だったり言葉だったり、いろんな形での刺激を受けると思う。
私にとっての旅行の醍醐味は人とのコミュニケーションだ。
全く違う価値感、宗教観その他色々な文化的な差異をほんまに面白く感じる。
そんな部分を有る程度、垣間見える距離感での旅行の形態でないと楽しいとはあまり感じなくなったかも知れない。
一昨年10年ぶりに長期の旅行をした。災害時のスリランカだ。
と言っても3週間だがその時の私にとっては十分すぎる位の時間であった。
どんな感覚になるだろうとワクワクドキドキした。旅の感覚は大丈夫か?
語学以外は全然問題なく安旅に対応できる自分に安心した。大丈夫。

欲深く、業も纏っているが故に日頃、頭を悩ます問題山積だがもう少しコレで行こう。

日常の仕事の中で恣意的な感覚を籠めたモノづくりを長らくしていない。
仕事以外でのワークでも所謂、作家的なスタンスでのモノづくりを長らくしていない。
ワケはある。
こんな事を何度かヒトに話した事がある。
エスケープなのだろうか?
時間の開きが大きくなればなる程に不安に似たような感覚と根拠のない自信が混沌となる。
エスケープなのだろうか?
創造し続ける事にこそ意味があるのだろうか?
山を先ず登り続ける事でその先に見えてくるものがあるのであって、まだ見ぬ頂などは想像できるはずも無く、見えないものを求めていると言う事なのか?
創造し続ける事によってエスケープになってはいないだろうか?
問題は解決してるのだろうか?走りながら思考してるのだろうか?
必要とされるであろう、あるはずのモノを創るには信仰が必要だ。
必要とされたモノを創るうえでは信仰は必要ない。ただ必要とされる事を愉しめばいい。
エスケープなのだろうか?感覚は大丈夫だろうか?


既存の信仰は馴染めない。新興信仰を求めているのだろうか?
パロディーに転化するべきなのだろうか?
まただんだん意味不明になってきたw

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