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2007年9月6日木曜日

ニッポンの怪人-吉本晴彦

写真は昭和23年(1948)頃の梅田駅周辺の航空写真です。

戦後の大阪は一面焼け野原で大阪駅周辺がまだ梅田村と呼ばれていた頃、不法占拠によるバラック小屋が立ち並び、闇市が行われていた自分の土地を奪還すべく立ち上がった男がいた。

後のマルビルオーナーで大日本ドケチ教の教祖・吉本晴彦です。

吉本晴彦
1923年に江戸時代から資産家として有名で大阪梅田に広大な土地を有する吉本家に生まれるが幼くして両親と死に別れ、祖父に育てられるがその時、先祖からの財産を大事に守って引き継いでゆく生き方を教わる。

戦後のドサクサと呼ばれる最中、不法占拠の自分の土地を守るべく建設作業員などを沢山引き連れバラックを強制的に撤去し梅田村事件と呼ばれ不法者に立ち塞がった。

大日本ドケチ教の教祖
「もったいない、もったいない、もったいない」と3回唱えれば、ご利益があるそうです。

こんな事いったら‘貧乏くさい!’と貧乏人がワンサカ声高に吠えそうな今の時代ですが、戦後の記憶も消え薄れ、世間がバブルの狂乱の最中でも‘物を大事にする、人を大事にする’そういった精神は祖父からの遺言とともに堅く守り、五輪誘致の為の湾岸開発の投機性を指摘します。

現在の3セクの結末になってしまうのを予見していた様である。
ハゲタカが群がるのを知っていながらさらに自分も輪に入って貪ろうとする気質が個人の特異性で無く、ごく一般的な物になってしまっているのが今の時代の救いようが無いところなのか?

我先に貪ろう。出抜かないと馬鹿を見る。貪らないのは弱虫だから。
なんだか戦時下の思想の片鱗が見え隠れしなくもない。

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